ピトン・パイエ
ロワールビオの大御所が新たな地平を切り開く |
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ジョー・ピトン(Jo Pithon)は、以前「Domaine Jo Pithon」としてワインをリリースしていました。ビオロジックで栽培を行い、バリックでエレヴァージュを行うという最高品質のワインのみを造り出すために、シュナン・ブランとカベルネ・フランのみが植えられた条件の優れた区画を耕作していました。その後、ドメーヌの品質は多くの知る所となり、1994年12月に「Revue desVins de France」誌(以下RVF)の選ぶ「今年のヴィニュロン」に選定されると、フランス内外を問わず、その名は広く轟くこととなりました。
彼は、自身のワインが、当時考えられていた「標準的なワイン」とは異なっているとの考えから各種コンクールへの出品を行なっていませんでしたが、にもかかわらず、RVFやBettan Desseauveなどのワインガイドで評価され続け、ついには彼の造る
甘口ワインがパーカーポイント97-99を得ることもありました。
しかし、以前は最大14haほどあった畑の契約が終了し、返却を余儀なくされ、残った畑とともに信頼のおけるヴィニュロンからブドウを購入する形でワイン造りを再スタートしたのが、今回ご紹介する「ピトン・パイエ(Pithon-Paillé)」です。
敢えてネゴシアンというスタイルでワインのリリースを行うに至ったのは、シュナン・ブランとカベルネ・フランのスペシャリストでありつづけるためでした。ネゴシアンとなることで、畑を取得しなくともシノンやブルグイユ、ソーミュール・シャンピニー、アンジュといったロワールの優れた赤ワイン、またアンジュ・モザイクやサヴィニエールといった優れた辛口白ワインを造り出すことができます。また、ロワールをよりよく理解できる様々なテロワールを耕作することが可能となり、ヴィニュロンとして更なる経験を得ることも可能となりました。ネゴシアンといえども、ドメーヌのワインと同じく栽培醸造管理が徹底されており、ドメーヌのワインだけでなくネゴシアンのワインも、同じエチケットで自信を持ってリリースされています。
実際、このドメーヌは、早くも2011年1月のRVFでPhilippe AlietやBernard audryなどのこの産地を代表する名立たる生産者と並び、ベスト・ロワール赤ワインの一つとして選ばれ高評価を得ており、Aux Bons Crus, Apicius, Astrance, Arpège, Grand Véfour, Robuchon, Guy Savoy, Stella Maris, Tailleventといった
名立たるグラン・レストラン、Le verre Volé, Aux vergers de la madeleineなどの有名ワインショップからも支持を得ているなど、すでにその名声を確立しつつあり、話題となっています。
彼はぶどう栽培、ワイン醸造について確固たる信念をもっています。それは、彼独自の哲学ともいえるほどです。
Qualité Franceに認証済のビオロジックで栽培(2009年シノンを除く)を行い、「活きている土壌」がもたらすワインがテロワールをそのまま表現できることを理想としています。また従来リリースしたくてもできなかったアペラシオンをブドウの買い付けを通じて新たにレンジに加えリリースしています。
ワイン造りにおいては、活き活きとした酸を持ち、12.5~13.5度(最高でも14度)とアルコール度数が高すぎず、畑のテロワールをそのまま表現したワインを造り出すこと、この地域では通常は糖度が14~15度まで上昇し、時おりブドウに貴腐がついてしまうことまであり、結果として肥えた重いワインが出来上がる傾向にあるのですが、この哲学に則って過熟したブドウや貴腐のついたブドウを収穫するのではなく、彼の理想である「適度に熟したブドウ」を収穫しています。
ジョーさんは、次のように言います。
「ビオワインを造りたいのではなく、土地の個性を表現したワインを造りたいのです。そのためには、きちんとした畑仕事をする必要があり、その方法がビオロジーだったのです。酵母や肥料も人為的に加えるものは使いません。同じワインになってしまいますから。」現在、買い付けたブドウに加え、以下の畑を耕作しています。
・レ・トレイユ(Les Treilles (Beaulieu sur Layon)) 2.70haピトン・パイエの中心的役割を担う畑。斜度30~70%の急傾斜。
コトー・デ・トレイユ(Coteaux des Treilles)は、アンジュ(Anjou)村にあるボーリュー・シュール・レイヨン(Beaulieu sur Layon)にあり、真南に面している立地の良さから戦前にはブドウが栽培されていたが、30~70%という急傾斜が災いし、戦後の農業の機械化とともに打ち捨てられていきました。
ジョーは、3年間をかけて25生産者から計70区画を購入し、60年間放置されていた荒地を再度開墾し、2000年から再植樹を行いました。5箇所の再植樹が可能となった区画のうち3haに既に植樹を行い、2haはそこに生きる動植物の多様性保全のために岩や植相をそのまま残す予定です。この区画の購入後、この丘を耕作するためにレ・トレイユ不動産管理会社(Société Civile Immobillière LesTreilles)を米国の友人Fred Elleman、Dave Muckaと共に設立。
長年に渡る放置の末に荒れてしまった区画から岩を除去し、木を伐採し、その根を馬とシャベルをつかって抜き、そこにあった石垣や階段、小屋などの建造物を出来る限り残しました。土壌の構造を崩さず、7000本/haという最大の密植度を実現するために、水平(南向きの斜面に対して東から西)に植樹するというテラススタイルではなく、最高の熟度を得られる垂直(南向きの斜面に対して北から南)方向に植樹することを選択。この畑は最大約1kmの幅があり、またその厳しい傾斜で耕作を行うため、小さなトラクターが必要となり購入しました。
この地の研究をてがける、アンジェ大学の植物学者Corillon(コリヨン)(1908-1997)の研究によると、レ・トレイユの丘には地中海性のミクロクリマが存在するといいます。実際、この地では、植物学的昆虫学的多様性を示す多くの昆虫や植物を見ることができます。この一帯は自然保護区域に指定されており、アンジュ鳥類保護機構(Ligue Protectrice des Oiseaux)とともにこの一帯の管理保全につとめています。(参考URLhttp://www.lpo-anjou.org/)
このような背景からも、ビオロジックでブドウ栽培を行うことこそが、この地の動植物相を保全するために重要であると考えているのです。
この一帯は、標高7000mに達した古代の山岳地帯を構成していたアルモリカン山地(Massif Armoricain)の一部となっています。この丘の頂上にある岩石は、4億2000万年前のシルル紀に遡る特徴ある火成岩の一種であるspilites(亜塩素酸塩、方解石、緑簾石などと共に長石を含んでいて、変成玄武岩に類似した非常にきめ細かな粒状の火成岩)です。標高の低い辺りは、砂、砂利、小石の凝集体である「プディング」と呼ばれる礫岩と薄い石炭層から形成されており、その礫岩は3億5000万年前~3億年前の古生代石炭紀のものとみられています。石炭層は19世紀の終り頃まで採掘されており、この丘の下のレーヨン川にそって伸びる道は、その昔採掘された石炭を運んだ鉄路の名残であり、その鉄路は、丘からさほど遠くないところにあった石灰の煆焼釜へ石炭と石灰岩を運搬するために使用されていました。